Sometimes Happy

縁のひとりごと

河原町のジュリー

京都生まれの漫画家、イラストレーターのグレゴリ青山さんが書かれた「ナマの京都」(メディアファクトリー)という本を読みました。
京都の人やかつて京都に住んだことがある人が読むと、かなり笑えると思います。
この本の中に、「ジュリー」のことが少し書いてあるんです。

「20年ぐらい前から姿を消し、河原町が少し淋しくなってしまった」

私もそう思います。
ジュリーをご存知ですか?
ジュリーといっても、沢田研二さんではなく、「河原町のジュリー」のこと。
’80年前後に、四条河原町あたりに出没していたホームレスのおじさん。
ドレッドヘアに豊かなヒゲ、黒い服。
もう彼に会うことはできません。

私が初めてジュリーと遭遇したのは、中学生の時だったと思います。
京極あたりを3人くらいで話しながら歩いていたら、昼間なのに急に目の前が真っ暗になって、「え!何?」と思ったら、目の前にジュリーの背中があったのでした(^^;)。
街へ出て(^^)、ジュリーとすれ違ったりすると、なぜか嬉しかったですねー。
あ、会えた!みたいな。不思議な親近感。
ジュリーが亡くなって、たぶん20年ほど経つと思います。
その年はとても寒かったのですが、彼が亡くなったという新聞記事を読みました。
亡くなって、2、3ヶ月程経った頃に書かれたその記事には、円山公園で亡くなっていたということ、四国に親戚の方がいらっしゃったので、お骨を持って帰られた・・・などと確か書かれてあったと思います。
ジュリーは四国の出身だったんでしょうか。
もしそうなら、故郷に帰れてよかったなあと思います。
河原町もあの頃にくらべたら、ずいぶん変わってしまいましたね。